孫を連れて義母の面会にいく、母のことは諦めた*年を取ることは辛いな~と思った。

今日は(土曜日)旦那の買い物に付き合いムサシに行った。
旦那は畑に使う肥料を買い、私は特に欲しいものがなかったので
園芸コーナーをうろうろしていた。
満開に咲いた薄紅色の名前は忘れてしまった花と赤いベコニアを買った。
この2つの花は少し寂しい実家の玄関に飾るため、帰りに実家に寄った。
母はデイサービスに行き留守なので玄関の下駄箱の上と下に飾って帰宅した。

昼食の後 プリンターのインクが少なくなったので
また旦那とホーマックに行くことにした。

土曜日は孫1号が保育園になるべく協力してほしいと言われ
娘が仕事復帰するまで、4月から昼食後の帰宅や休んだりしている。

ホーマックの帰りに義母が入所していたグループホーム
新しく建て直し、引っ越ししたのでその様子も見たかったので
孫1号と私と旦那と三人でホーマックで買い物をした後にグループホームに行った。



さすが新築、今までよりも明るくなり個室も広くなっていた。
トイレは共同だけれど、今までよりもずっと広くなって使いやすそうだった。
食堂もゆったりした雰囲気で当然新しく居心地が良さそうだった。
入院中の義弟に見せようと写真を撮ってきました。
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義母はまだ私たちの顔や名前はわかるようだが孫がいることを忘れていて
いつのまにこんな可愛い子ができたのだ、男の子か女の子かと何度も聞かれた。

孫1号も最初は慣れなくて私に抱っこをせがみセミのようにくっついて
次に「ジジ」と言って旦那に抱っこされていたが、若い介護士さんたちが来ると
恥ずかしがったり少しずつお喋りをしたり、可愛い可愛いと言われお菓子を
頂いたりして少しずつ慣れていった。
他の入所している方々も、小さい子の訪問珍しいのか、ニコニコしていた。

娘の子供だと言うと、義母はお祝いをやりたかった。
やらなければならない、こんなに大きくなって祝いもやらずに・・・と
なんだか涙ぐんでいたようだった。
孫1号はどこに行ってもこんな感じで徳のある子だと思う時がある。
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孫1号が義母の手を触ったりして遊んでいる様子を見ると
認知症になるのも辛いんだろうなと思った。
私の母は認知症がないけれど、体力がなくなっている。

母は来年1月には90歳になる、義母は今年6月に93歳になる。
年を取るということは大変なことだなと、身近に高齢者がいるとつくづく思う。



母のことは自分の中で諦めの心境になった。
口と金は出さないが、手と足だけは出さなければならないだろう。
私の性格上まるっきり放置できるはずがないのだ。

弟のことは、何も話すことはないし話す必要もなくなった。
母と弟が好きなようにすればいいと思う。
今まで両親のために、父が亡くなってからは母のためにと思い
弟に厳しくしろと、何度か言ったけれどそれも無理なことだとわかった。

認知症のない母なので自分で判断もできるし
自分でケアハウスに行きたいと思えばその手伝いくらいはする。
いーーや、せざるを得ないだろう。
今の家に住んで弟が帰ってきた時、母が我慢して過ごして
それで良いなら何も私が横から口を挟んでガタガタいうこともない。

友達のお義姉さんは70歳過ぎてまだ100歳のお姑さんを介護している。
そういう方に比べれば私はまだ楽な方だ。
世の中にはいろんな人たちがいて、同じ年代でも既に両親や舅姑を
見送ったり介護をする必要がない人もいる。

悠々自適で楽しい生活をしている方々も多いだろうが真逆な人たちも多い。
生まれた時からその人に備わった、努力だけでは変えられない運命のようなものを感じる。

リアル友達に悠々自適な生活で、海外旅行に行ったりグルメ三昧したり
趣味に没頭したり自分の好きなことを思う存分やれる人はいない。
みんな何かしら我慢をしながら生活をしている。

悩みの違いこそあれ、いろんな話ができてお互い慰めあったり
相談、話しをしてお互い鬱憤晴らしができる友達がいることは
私にとっては何よりのことだと思う。

こんな新幹線も通らないような片田舎の片隅でひっそり暮らしている。
上を見ればきりがなく下を見てもきりがない。
これでいいのだと自分が納得できるように暮らしていきたい。
今日は孫1号をオンブして寝かせ、その後、私も3時間寝ていました。

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